教員採用試験もここ近年では試験の倍率も下がる傾向が続き、ひと昔前まではドラマなどの影響で子供たちの人気の職業だった教員も、現在では人気の低下がささやかれる職業の1つになってしまいました。
今回の体験談の主人公Aさん(30代)も、この様な経験をするとは、新任として採用されたときは思っていなかったと語りました。
元来、責任感の強いAさんが、なぜこのような状況になってしまったのでしょう?
そこには、夢にも思わなかった悲惨な経験や孤独感がありました。
1.保護者からの要求が過大
新卒後、地方で夢にまで見た高校の教員として勤務していました。
教員として数年が過ぎ、その頃には毎年担任をしており、勤務時間という概念が無くなりました。
田舎の教員だったせいか、教員には24時間「先生であること」が要求されることが当然だったのです。
教員といっても単に授業するだけと思っている保護者も想像以上に多く、勿論時間はその対応でほぼ使われ、自分の時間を削っても授業の準備に当てられる時間は少なく、その為、授業をするために、教室に行くことになるので「間違ったことを言わないだろうか?」と不安になったものです。
休み時間は生徒の対応をして、トイレにも行けません。
昼食時間にも生徒は遠慮なく押し寄せます。
放課後になると、担当している委員会の仕事や部活の指導があります。
その隙間を縫ってトイレに行ったり、同僚や上司と情報交換をしていました。
保護者からの電話にも対応しなくてはなりませんが、多くの保護者が学校に電話してくる時は、喧嘩腰なので憂うつでした。
保護者からの話は、「自分の子供は理解されていない」というもので、不公平な扱いになっても、自分の子供だけを優遇するように要求するものも多かったのでした。
教員としての悩みは、「教育的配慮」という美名のもとに偽善をしなくてはならないことでした。
保護者からの要求はほぼ100%通さなくては「世間」が許さず、
「教育委員会に言ってやる」
「マスコミに連絡する」
といった脅迫的な言動で数時間も責められると、神経が参ります。
結局、教頭や校長は、自分たちの保身もあり、保護者の要求を通すことを優先し、相談をした教員の話をきちんと聞き取ってはくれません。
教員の世界は基本的に個人プレーで、同僚に相談しても協力は得られません。
孤立無援で「聖職」という古色蒼然たる役割を果たすことが大変でした。
次第に「先生」でいることに疲れました。
自分の言動から「先生」であることが世間にバレたら、面倒なことになると怯えるようになりました。
学校にクレームをつけられると不安が募るようになりました。
突然の同僚の入院、そしてカウントダウンが始まった
同僚がメンタルを病んで入院してしまい、それが「敗北した」という雰囲気で語られるのを見て、自分の現状を同僚に相談したりすることや、メンタルケアのためにクリニックに行くのは憚られました。
しかし、食欲不振に陥り、不眠に悩まされ、自分でも「ウツかもしれない」と不安になるようになりました。
そのうち、過換気症候群の発作が出て、ひどくなったため、そこで初めて医療に助けを求め、薬の処方をしてもらうようになりました。
薬の処方に対しても、当時通っていた担当医師に「メンタルを病んでいると知られたら、クビになるのではないかと不安」と打ち明け、理解を得て処方に至りました。
その医師の紹介で、のちに心療内科の通院に至りました。
そこで専門の医師のカウンセリングを受けて、次第に自分の気持ちを言葉に表現することができるようになりました。
本当の自分を、再び見つけるための転職
カウンセリングを3年ほど受けた頃、転職しました。
最初は在宅でできる仕事で、その仕事を3年ほどしました。
その後、人と接する仕事も大丈夫だと感じて、スーパーのパートを始めました。
最初は「教員あがりだと知られたら嫌がられるのではないか!?」と非常に不安でした。履歴書を書く時、非常に悩みました。
面接で志望の動機を聞かれた時、前職については別段触れられなかったのでホッとしました。
教員は潰しが効かない職だと思っていたので、自分が新しい仕事に馴染めるかが少し不安でしたが、教員に戻ることはもう考えられませんでした。
いわゆる「あとが無い」状態で新しい仕事に取り組み、最初の1年は苦労しました。
職場の風土が「学校」というところは特別だったと痛感したものです。 しかし、2年目にはだいぶ慣れてきました。
転職後の現在
スーパーのパートになってからは、同期の同僚とランチをするようになりました。
同期だと同じことに悩み、先輩には言えない愚痴をこぼしあえるので、ランチ会は楽しみです。
意味の無いような話題で盛り上がったり、何気ないことで笑いあえる環境はこんなにも素晴らしいものかと、改めて気が付きました。
また、たわいもない会話の中で、仕事のヒントを得ることもあります。
教員時代には同僚とランチをすることなど、考えられもせず、その時間もありませんでした。
悩みを打ち明け、愚痴をこぼし合うことで、ストレスが発散されるということを実際に体験できて、精神的に楽になりました。
嫌なことがあった時には、同期の同僚とメールのやり取りをして、慰め合います。
悩みをオープンにすることで、リフレッシュできるようになりました。
読書や庭いじりで気分転換することは、教員時代もしていましたが、人間関係で嫌な思いをした時は、人間的な触れ合いが一番リフレッシュできます。
転職を考えている教員の方へのアドバイス
「先生」は、人間相手の仕事ですが、実際の扱いは人間的とは言いがたい一面もあるのも事実です。
「聖職」という枠が、教員にも心があり、そこに悩みがあるという、当たり前のことを分からなくしている気がします。
教員が相手にするのは、力関係が不均衡な生徒や、これまた平成時代に力関係が歪になってしまった保護者が大半です。
対等な力関係の人間と接するのは、本来同僚とのはずですが、多忙でその時間がありません。
教員であることに疲れてしまった「先生」は、学校以外にも働く場所があるということを知ってほしいと思います。
学校以外で働いた時、同僚と愚痴をこぼし合う楽しさが味わえるようになります。
メンタルを病んでしまってまでしがみつくことはありません。
私の転職までの経緯は、逃げたと批判されることも多いかもしれません。
しかし、私は今ではこれで良かったと思っています。
その上で、同じような悩みを一人で抱えている教員の方がいれば、強く言いたいです。
学校ならではの、区切りを活かし転職という一歩を踏み出すことは、本来の自分と向き合ってみるチャンスかもしれませんと・・。
まとめ
夢であった教員に就くものの、理想と現実とのギャップからストレスを抱えてしまったAさんですが、現在は通院も終え、家族と共に転職先で明るく勤務に励んでいます。
今回の相談の様な、職場における誰にも相談できない孤立感によるストレス。
これは、教員に限ったことではないと思います。
この様な問題は、個人が改善するために努力することで一気にすべてが解決されることでもないと思いまし、逆に悪化の一途を進めることも少なくはありません。
理想は、ストレスが深刻化しないうちに心から話せる相手などストレスの捌け口を見つけることかもしれません。
それでも、ダメだと感じた際は一歩立ち止まって「自分を見直す転職」ということも選択肢に入れても良いのではないでしょうか。
転職は、スキルアップを目的とするものだけでなく、自己の再生やリセットとしての意味で活用することも転職のメリットではないでしょうか。